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プロフィール

Author:トチコ
2009年2月にうつ病の診断を受けてから8年目。
休職→復職→休職→復職と繰り返し、2014年10月40歳にして始めて仕事を断念。
退職しました。
薬害についていろいろ調べた結果、薬を使わないことを目標に2014年末頃から減薬を始め、2017年3月から断薬しています。
結果として8月頃から急激に体調は回復。
私にとって抗うつ剤はデメリットしかありませんでした。

今は断薬症状や病気の体調不良に苦しみながら、社会復帰を目標に体力づくり頑張っています。

もし私の病気になってから今までの事をお知りになりたければ、カテゴリー『これまでを振り返って』の内容をご覧ください。

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母の事
今日は母の事を書きました。
とても長いです。
人によっては気分を害する内容かもしれません。
私も何で書いたのか、自分でも理由ははっきりわかりません。


私が幼い頃母は病弱で、何度も救急車のお世話になり、私はいつも不安な気持ちでました。

大人になった今ならわかるのですが、母はとても臆病で大げさゆえ、今でもちょっとした事で大騒ぎをして、私や主人を疲れさせます。
なぜか休日や夜間に多いのですが、特に機嫌の悪い時、かまってほしい時は、すこしめまいがする程度の不調でも大げさにふるまい、救急車を呼ぶと騒ぎ始め、私たちの、ひとまずは横になって少し様子を見よう、少し我慢すればよくなるかもしれないし、朝になっても良くならなかったら病院に行こうと言い含めても機嫌が悪くなるばかりで、全く聞きません。

私は今までの経験から、すぐに良くなるのがわかってしまっているので、救急車に迷惑をかけるのも嫌ですし、救急病院でお金を無駄にかけるのもちょっと躊躇してしまいます。

母は祖父母から愛情をもらっていないので、そういう形で私たちの愛情を図っているふしがあり、そう考えるとかわいそうでもあります。
また過去の経験から学習する能力もすっぽり抜けているので、このくらいならじっとしてればそのうち落ち着くという事を考えられないという事もあります。

いつもお約束の流れですが、仕方なくタクシーで救急外来に連れていくも、毎回異常なしで、病院に来たことへの安心感から、すぐにケロッとしてしまい、元気になったからあれが食べたいこれが食べたいと、本当に子供の用です。
下手すると、念のためにと横にならせてもらっている病院のベッドの中で、オヤツが食べたいから今買って来いと我儘を言い、本当に困ってしまうこともよくあります。
これが今まで死にそうだと騒いでた人のやることかと、我が母ながら恥ずかしくなってしまいます。

これに似た行動ですと、私と主人が外出中(または仕事中)に具合が悪い、死にそうだとしつこく連絡をしてきて、こちらが根負けして用事を切り上げたり、時には仕事を早退して自宅に戻ると、安心からかまたもケロッと元気になってしまいます。

幼かったころは母と二人きりだったこともあり、私も無知で純粋でしたから、母のこういった行動すべて真に受けて、母の病や死におびえて、それが私の心の傷となったまま私は成長しました。

ですから、『母の具合が悪い』は大人になった今も私にとっては恐怖の対象です。



母は昔からいわゆるヒステリックなところがありました。
ですから私への躾も、比較的そういう側面が強く、私はヒステリーを起こさせないためにいい子でいるという思考が身についていました。
もちろん愛情をたっぷり注いでもらっていたので、私は本当に母を愛していますし、愛する母を悲しませたくない、怒らせたくないという気持ちもあります。

ただ決定的だったのは、私が小学校1年になったある日、自宅に帰ると、手首から血を流している母がいました。
一年生になった記念にもらった、私の大切なノートに母の血が滴っていたのを今でもはっきり覚えています。

そのころから、母に対して、怒らせてはいけない、悲しませてはいけない、私が守らなくてはいけないという気持ちがあまりにも強く、今でいう共依存状態が培われていったと思います。

そのため、私は母のためだけに生きるという人生を歩んできました。
母を幸せにするためなら、自分はどんなことでも耐えていくと自分に課していました。
おかげで、大人になったころには、母が寿命を迎えたら、私の人生はそこでおしまいにしようと漠然と思い続けていました。

残念なことに、母はそんなことはもう忘れていますし、自殺未遂に関しては武勇伝くらいにしか思っていません。
ヒステリックなところはここ10年くらいで随分影を潜めました。
ただ、辛いことがあると、『死んでやる!』と安易に口走る癖は治っておらず、そのたびに私の心は戦慄します。

ですから、『母の死んでやる!』は大人になった今も私にとっては恐怖の対象です。



母は、私を束縛します。
最近になり、随分和らいできたような感じもありますが、30代までそれは強く続きました。
私の外出に対して、戻ってくる時間なんかを厳しく制限しようとします。
途中何度も電話があり、出ないと怒ります。
誰と何のためにどこへ行くのか。
自分の我慢の限界を超えると、今すぐ帰って来いと怒鳴り散らします。
自分が気に入らない相手や、必要がない用事と判断した時には、外出自体に反対をします。
なだめて出かけるのは本当にしんどかったです。
怒るだけならいいのですが、ヒステリーを起こし始めると、『死んでやる!』が始まるので、とても怖いのです。
一番しんどいのは、仕事も全く同じ対応をされることです。
残業が続くと不機嫌になり、職場に電話があり、そんな仕事は辞めろと言ってきます。
家族で働いているのが私だけにも関わらずです。
もう情けなくて悲しくて涙が出ました。

結婚した当初は主人に対しても同じで、夫婦で外出中も帰って来いはありました。
特に嫌だったのは、『いつも二人でばっかり出かけて。どうせお母さんの事は嫌いなんでしょ。お母さんだけいつも一人ぼっちで寂しい』と出かけるたびに言われたことです。
新婚さんが週末外出することに『仲間外れ』と言われ続け、さすがの主人も閉口していました。

最初の頃にあった娘を取られたという気持ちも、主人が母を大切にしてくれ続けた結果により、自分も愛されているという安心感に変化し、ここ数年は夫婦でいる事に、うるさく言うことはなくなりました。

平日私が一人で出かけようとすることに関しては、いまだにややしつこく、毎回あしらうのに苦労しています。

ですから、『私が自由に外出する』は大人になった今もちょっと困難です。



9歳の時にできた父は17歳の時に身体障碍者になりました。
借金もありました。
だけど母は安定して働くことは出来ません。
発達障害のせいで人に合わせたり我慢したりすることができないようです。
ですから高校在学中から我が家の家計を担い、成人する頃には私一人の肩にかかるようになっていました。
職場で母が惨めな思いをするくらいなら働かなくていいと言ったのは私です。
母はそれに従いました。

会社に就職し、初めての給料はすべて母に渡しました。
ところが3か月後、家賃や光熱費を全く払っていなかったことが発覚しました。
翌日からは食費と雑費、母の小遣いだけを渡し、残りはすべて私が管理をするようになりました。

私は生活費や借金の返済のため、命が擦り切れる思い出お金のやりくりをしていました。
自分の小遣いは皆無。
通勤を自転車にして定期代も生活費に充て、休日に日雇いのバイトをすることもありました。

ところが母はお金の管理が致命的に駄目で、月末に足りなくなることはいつもです。
給料日の前にお金を催促されることは全身の血の気が引くほどの恐怖でした。

母はパチンコがやめられませんでした。
預かった生活費を増やしてやろうと、本気で思っていたと思いますが、それですべて使い込むという事も2度や3度では無かったです。
その度に泣いて、もう二度とやらないというのですが、結局繰り返しました。

30歳の時に返済をなんとか終え、主人と結婚して、お金に困るという事はなくなりました。
いまでは主人が、母に毎月生活費とお小遣いを渡しています。
母は今でもパチンコは辞められていませんし、生活費が足りなくことも毎月のようにあります。
そうすると言いやすい私に催促をしてくるのですが、これがきっかけで私の体調が崩れてしまいます。
主人が、私にお金の催促をすると具合が悪くなるので絶対にしないようにと注意をしてくれますが、数カ月で忘れてしまうようです。


ですから、『母のお金頂戴』は大人になった今も私にとっては恐怖の対象です。


こう書くと一方的に母が悪者かに映ってしまうと思います。
でも母も両親に恵まれず、幼い頃に辛い思いをし、発達障害ゆえの生き苦しさを抱えてきました。
悪意があってしてきたことではなく、本当に仕方がなかったのだと思います。
私にしてきたことは、自分の不安故、私への愛情故です。
だから、私は今でも母を幸せにしたいと思っています。


主人と結婚した時に、母の生きがいのために家事をすべて任そうと決めました。
なにより母がそれを望んでいます。
家の事をすることによって、自分も役に立っているという安心感も得ています。
自分が仕切っているという自負もあるのでしょう。
ただ家事は正直へたくそです。

洗濯ものはすぐ臭くしてしまいます。
なので大切な衣料はこっそりと別に洗っています。
あと部屋が片付いていません。すごく散らかっています。
でも私が掃除しようとするとうるさく付きまとってくるので今はあきらめています。
料理に対しては絶大な自信があって、自分はかなりの腕前だと思っていますが、味が薄い、しょっぱい、火が通っていない、火の通り過ぎ、量が多すぎてすぐに捨てる、油っこい、調味料の入れすぎ等、ちょうどいい日は結構少ないです。
だけど家事の中でも時に料理は母の得意分野なので私が侵害するわけにはいきません。
ですから私も主人もいつもおいしいおいしいと感謝しています。

こんな感じで日常的に我慢は多いです。
主人にも申し訳ないなと思っています。

今私は、正直母がめんどくさくて仕方がりません。
本当に色々とめんどくさいです。
だけど昔と変わらず愛しています。

正直母と離れて暮らすことが、私の回復の最短ルートなのかもしれません。
だけど今までの人生の中で、一番のびのびと楽しそうに過ごして無邪気にふるまう母を見るととてもそんな気にはなれないです。
なにより、必死に母を守って生きてきた自分の人生を否定することになるのが怖いのかもしれません。

一緒に暮らし続けながら自分のトラウマが解消できる日が先か、母がこの世を旅立つことによって私が解放されるのが先かは、今はまったくわかりませんが、その日が来るまで自然に身をゆだねていこうと思っています。



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投稿日:2017/08/01
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