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プロフィール

Author:トチコ
2009年2月にうつ病の診断を受けてから8年目。
休職→復職→休職→復職と繰り返し、2014年10月40歳にして始めて仕事を断念。
退職しました。
薬害についていろいろ調べた結果、薬を使わないことを目標に2014年末頃から減薬を始め、2017年3月から断薬しています。
結果として8月頃から急激に体調は回復。
私にとって抗うつ剤はデメリットしかありませんでした。

今は断薬症状や病気の体調不良に苦しみながら、社会復帰を目標に体力づくり頑張っています。

もし私の病気になってから今までの事をお知りになりたければ、カテゴリー『これまでを振り返って』の内容をご覧ください。

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発病してからいままでをさらっと振り返るその1
なかなかよくならないな~とは思うけれど、昔の事を振り返れば、結構よくなっているよ!っていう事がわかるし、励みにもなります。

でも私のブログはもう随分長いことやっているからそうそう読み返せるものでもないので、なるべくコンパクトにこれまでの事を振り返ってみることにしました。

とはいえかなり長いです。
もし興味のある方は、暇なときにでも読んでみてください。





2008年末頃~うつ病の診断をされる前 

半年くらい前から、体重が月に1キロ位のペースで減り始める
緊張しているような激しい動悸が続く
一週間くらい前から、インフルエンザで高熱があるときのような体調が続く
内科を受診しても特に何もなく、心療内科を進められる
考えがまとまらず、仕事が手につかなくなり、デスクに座っていてもどうにもならない感じになる
仕方なく心療内科の予約を取る

2009年2月
心療内科受診→『うつ病』との診断をされ、即休職が決まる
その時の気持ちとしては、鬱病というのはストレスからくる病気だと思っていたため、全く身に覚えがなかったですし、なにより信じられなかった。
なぜなら2005年頃から希望の職場に勤めだし、仕事も充実し、主人と出会い、2007年に結婚し、人生でまさに初めて幸せになれたという時だったから。
なんで?幸せなのになんで?という疑問で頭がいっぱいでした。

この時に下された診断としては、10代後半から30才頃までに続いた貧困生活によるストレスが原因で、幸せになったことにより発病した荷下ろし症候群だといわれていました。


休職に入ると一気に病状は悪化。
(抗うつ剤の副作用の疑いもあります)

起きあがれなくなる
呼びかけられてもまぶたすら開かない
声がでない
食事ができない
全く眠れない
信じられないほどつらい頭痛
朝も夜も続く体の痙攣
頭の中で響き続ける耳鳴り
音楽やテレビも苦手に
もちろん読書も映画もスマホも何もかもが駄目でした
柔らかい音や自然音のヒーリング曲のみ大丈夫

その間にどんどん薬の量や種類は増えていきました

それらの症状は徐々に収まっていき2009年8月半年間の休職を経て職場に復帰
なんとか職場に復帰は出来たものの完治はせず、それからの約5年間、なんとか病気と付き合ってきたという感じでした。


人が怖くうつむいて歩くことが増える
電車が苦手なので、空いてる電車を待って乗る
途中で具合が悪くなり、降りることもあるので必然的に、それまでは全くなかった遅刻が増え始める

会社の産業医の計らいで遅刻にならないようコアタイムを一時間ずらして設定してもらう

音や声に過剰に反応する
電車内での大声での会話はもちろん、職場で同僚が議論を交わしているのを聞くのも辛くて、常にノイズキャンセリングを着用し、ヒーリング音楽を聴き続け、外の音をシャットアウト(音楽を聴くことが許される職場でした)
会議のあとは、強い緊張→頓服のセルシンが必要


夜は23時に、フルニトラゼパムを飲んで就寝
中途覚醒・早朝覚醒・熟眠障害・悪夢
朝はぐったりと疲れ切っていて、起きる事がとても苦痛に感じる
休日は、平日の疲れを取り戻すため、ほぼ寝たきり

病気中心の生活を送っていても度々体調は悪くなり、欠勤は多く有給は使い切っていました

2012年
この頃職場で一番偉かった上司からある重要なプロジェクトのリーダーを任されます
バカな私は自分の体調も顧みずそれを受けてしまいました
このタイミングで1月からの大規模編成があり、そのプロジェクトに絡み、上司同士の権力争いや、それぞれの立場を誇示するためのもめごとに巻き込まれ、再度症状が悪化

この年の春から再度休職する羽目になり、秋に復帰


2013年11月に病院を現在の主治医に変更
前の医者は毎回話は5分で薬を無駄に増やす信用できない人でした。
今の主治医は極力薬を使わずに、よく話を聞いてくれなんでも相談に乗ってくれる方です

今の病院に変えて、2014年頃から一年近くかけて、ルボックス(デプロメール)も150mgから75mgまで減しました

この主治医は沢山の話の中で、なぜ私がこんな病気になってしまったのかの原因を探ってくれました。
その中にはもちろん若い時の借金を抱えての経済苦や、当時の職場でのパワハラ・セクハラもあったのですが、私が一番衝撃を受け、一番受け入れがたかったのが、自身がアダルトチルドレンであったという事でした。
それまで母に対して、なんの疑問も持たずに生きてきましたが、母親が普通では無かったという事に気づかされ、とても衝撃でした。
それに対しては主人もうなづいており、主人との話し合いの中で、私も理解を深めていくことができました。

主治医に直接合わせたわけではないですが、話を聞く限り、お母さんはADHDでしょうと言われ、本当はお母さんも治療を受け、お互い離れて暮らすことが良いといわれましたが、母本人は今幸せで、わざわざこれまでの母の人生を否定してしまうようなことを言ってまで治療をうけさせたくはなかったですし、こんな今でも母が大切で、追い出すようなことは決してしたくありませんでした。

ただ、残念なことに、この頃から母親に対する憎悪や恐怖感が非常に強まり、それが私の新たな困難となり始めました。

救われるのは、母がADHDのためなのかもとの性格なのか、ものすごく鈍くて、何があっても無邪気でいてくれます。
多少私の機嫌が悪くても、いつもいつも楽しそうに自分中心の世界の中で生きていてくれています。

2014年9月
再度大規模な組織編成、新部署への移動
新しい環境へのストレスか、みるみる体調を崩し、休みを重ねる
この頃自殺を考えるようになる
10月
その様子をただ事ではないと感じた主人から仕事を辞めるように強く勧められ、泣く泣く退職しました


2014年10月26日ブログスタート

2014年末から2015年5月

この頃から今までにない強い症状が出始めます。
激しいアップダウン
パニック発作
パニックを起こしてはODを繰り返す
強い希死念慮
数度の自殺未遂

会社を辞めてからは、眠れなくても困らないと思い、睡眠導入剤のフルニトラゼパム(別名ロヒプノール・サイレース等)をやめていました。
主治医にからも気にならないなら飲まなくてもよいとの指示がありました。

ところがこの頃のひどい症状は、そのフルニトラゼパムの断薬症状でした。
後にきっちり断薬した後収まっているので間違いないと思います。
この断薬症状については現在の主治医もあまりよくわかっていらっしゃらなかったのが残念ですが、実際精神科医というのはそういうものなのかもしれません。

あまりにもひどい有様の私を見て主人が色々と調べてくれ、このフルニトラゼパムの離脱症状、または抗うつ剤達の副作用ではないかとの疑念を持ち始めました。

2人でよくよく話し合った結果、抗うつ剤の断薬に向けて頑張る事を決意しました。

その2に続けます


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投稿日:2017/07/26
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波乱万丈。
大変過ぎる体験談を感情移入しながら一気に読みました。
私と共通するところも多いのですが、トチコさんの方がはるかに大変な思いをされていますね。

その2も必読です。
2017-07-27 19:54 : いりぴ~ URL : 編集
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いりぴ〜さんへ
さらっと書くつもりが結構長くなっちゃってますよね…
結構書くの大変だったので、続き書くのも気合がいります。
これ読むとホント良くなって来てるよな〜って思えますね。
2017-07-27 20:30 : トチコ URL : 編集
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